茄子とチーズのボロネーゼ

ことばをたいせつに。うまくいく。

自分の頭で考える、ということ

突然だが、
僕はあらゆる行動に対し、
『なんで?』って詰められることが苦手だ。

すっと筋道立てて説明できることは滅多にない。
とっさに出る答えは、『なんとなく』だ。

行動に対し、なんで?の答えを求められてこなかった。
そうなってるから。
よそはよそ、うちはうちだから。
そういうルールだから。
そうやってれば怒られないから。

みたいな論理とは言えない論理にアジャストして生きてきた。

学生時代はそのスタンスで優等生としてやってこれた。
すべてが模範生のようではなかったけれども、本筋を逸れていなければ、やることをやっていればなんとかなった。

なぜそれをやるのか?
そんなことは考えずに生きてきた。
やれって言われたことをそれなりのパフォーマンスでやっていれば、
学校というコミュニティの高位に属することができていた。

自分の意見なんてなかった。
それらしいことを人の受け売りで言っていれば賢そうに見えた。
意味もよく分からない言葉で武装していた。
自分の考えや意見を深掘りされない間はそれでうまくやっていた。

そんな僕が社会人3年目の今、
とてつもない壁にぶち当たっている。

考える力がない。
言動にロジックがない。
問題の解決方法が分からない。
そもそも何が問題なのかが分からない。
『どうしたい』がない。

ここってこうだから、問題だよね。って言われれば、理解はできる。
でもそれは受け身の結果であって、
自らが何をどうするのか、
そういう自発的な思考はない。

そして、
そういう思考ができない人材に未来がないことは、強烈な危機感を伴って実感している。

頭の使い方が分かっていないだけらしいのだけれど、
それはどこで学べるのだろう。

そもそもどこで学べるか?という思考になる時点で、
自分の頭で考えることを放棄しているんだ。